みなさんこんにちは!
2024年、ブログ初投稿です!
ここまで全力で駆け抜けてきたShima Hotelも、気づけば今年で開業5年目(!?)を迎えます。
困難も少なくありませんでしたが、日々応援してくださるみなさんのおかげで、ここまで来ることができました。本当にありがとうございます。
今回のテーマは「Shima Hotel開業から4年間の軌跡」(前編)です。Shima HotelオーナーのYusuke(以下 : Y)とMai(以下 : M)がお届けします。
Y : もうShima Hotelを始めて4年も経ったんですね。
僕が社会人になってから、会社員だった期間は最長で1年半なので、まさか自分たちの事業でここまで続けられているなんて今でも信じられないですね笑
今回はShima Hotel開業から4周年ということで、これまであったいろいろなことを振り返っていきたいと思います。
せっかくなので、みなさんからのよくいただく質問をもとに回答していきましょうか!
質問1 : なぜ、与論島に?
Y : 実は僕たち、与論島にルーツはなく、移住前は2人とも東京で会社員をしていました。
M : Yusukeが大阪、私が兵庫出身です。
その話になると、もともと与論島に移住したいと思っていたんですか?とよく聞かれますが、そうじゃなかったんです。
移住したくて物件を探していたら運よく見つかって、とかだと説明しやすいんですけどね笑
Y : 私たちが与論島に移住したきっかけのすべては、この場所(Shima Hotel)との出会いからだったので、その背景についてここで詳しくご紹介しますね。
まず、この場所とのご縁をいただいたのは父なんです。僕は父から送られてきたあのメールがなければ、今も東京で会社員を続けていたと思います。
Yusukeと父
当時送られてきたメールにはこう書かれていました。「東京生活は順調か?いきなりやけど、これから与論町と共同プロジェクトを行う場所を長期的に借りられるかもしれない。もしやる気があれば、ここで本格的に事業をやってみないか?」と。
そこに場所の写真も合わせて送られて来ました。
まずは目を疑いましたね。「何その話!?」みたいな笑。
メールを見ながら、ワクワクなのかドキドキなのかよくわからないけど心拍数がすごく上がってました。そして「あれ、与論島ってどこやっけ?」とすぐGoogle mapで確認しました笑
メールをもらって2ヶ月後、初の与論島へ
ちなみに文面にあった与論町のプロジェクトとは、鹿児島県与論町の創業機運醸成事業(現:よろんスタートアップ支援事業)というもので、ざっくり言うと「個人が新しいチャレンジを始めやすい環境作りをしていこう」という取り組みです。
当時沖縄で活動していた父は、同じ取り組みを10年以上沖縄県内で行なっていました。
次第にその取り組みは県を超えて奄美群島でも必要とされ、与論町から委託を受けプロジェクトとして立ち上がった、という流れです。(実は現在も、Shima Labo YORONとして私たちが引き継いでいます!)
当時のクラウドファンディング
この時ワークショップを行った場所が、後のShima Hotelとなる場所です。(もとは「島の味 八郎」という島を代表する料亭)
なぜ、与論島に縁もゆかりもなかった父が、このような素晴らしい出会いを果たせたのか、当時疑問に思った僕は父に聞きました。すると、まさに運とタイミングの巡り合わせだったのでしょう。父が積み重ねてきた信頼と地主さんの想いが交錯したことが始まりでした。
詳しく聞くと、与論島で、父が沖縄で行っていた創業支援の取り組みを必要としてくれた方が、もともと島の味 八郎と深い関わりをお持ちだったことに理由があります。
島の味 八郎は長い歴史のある飲食店でしたが、数年前に閉店してしまいました。
場所の魅力は多くの人が知るところだったため、島内外から借りたいと名乗り出る人はあとを絶たず、一時的に借り手がついたこともあったそうですが、うまく活用されるには至りませんでした。
おそらく多くの紆余曲折があったと想像しますが、最終的に「信頼できる人に島のためになるような活用をしてもらいたい」という地主さんの意向と、父の創業支援への取り組みが与論町に必要とされたタイミングが重なって、ご縁が繋がったと聞いています。
それを聞いた時、不動産屋でもなく場所を探していたわけでもない父が、人との繋がりで場所を借りることになった事実に対し、「お父さんすげえな」と思ったと同時に、そんな場所を当時24歳の素人に託そうと決めた大胆さにも驚くばかりでした。
M : ほんまにありがたいことよね。自分たちの事業ができる場所がある状態で、与論島に移住できるなんて奇跡に近いことやから。(与論島は移住したくても住む家がないことで有名)
Y : ほんまにありがたいね。父のおかげでShima Hotelを始めるチャンスができた、と。
質問2. 与論島への移住を決めた理由を教えてください。
Y : これは1つ目の質問の後だと答えやすいですね笑
移住を決めた理由は、ぼんやりと「いつか自分で事業やりたい!」と思って生きていたところに、願ってもないチャンスが目の前に出て来たわけですから、飛び込むなら早いほうがいい!と。
M : それだけ聞くと、はじめから起業家精神のすごい人だったんだと思うけど、そうではないんだよね?
Y : うん。小学校〜大学まで野球しかしてこなかったので、社会人としての生き方は何もわからなくて。なので「やりたいことがわからない」けど今の環境が続くのは嫌だ!と言って、新卒で入った会社は半年で辞めちゃって…笑
その後父と暮らしたことが大きな転換点だったかな。
父は単身赴任が長く(しかも沖縄!)、僕が中学生になって以降一緒に暮らしていませんでしたが、大人になってから約半年間一緒に住んでいたことがありました。
その時僕は、新卒入社した会社をたった半年で辞めるという思い切ったことをしながらも、「次、どうする」の答えがない状態でした。
当時父は沖縄で起業支援の事業を行っていたので相談すると、退職したことにすごく驚きながらも「じゃあ、一旦こっち来るか」と。
そこでゲストハウスやカフェを開業する方のお手伝いをさせてもらう中で、自営業のおもしろさを知っていくことになりましたね。
これまで想像していた「社会人」と全く違う生き方に出会う
M : Yusukeにお父さんから与論島についてのメールが来たのが、ちょうど私たちが付き合い始めた頃なんですよ笑
私は、当時勤めていた会社が3年目だったのですが、次のステップを考えた時に漠然と海外に行きたいと思っていたんです。
そんな時に彼から与論島の話を聞いて、「与論島?どこ?」ってなったのが最初ですね笑
私は新しいことにチャレンジするのが好きなので、その後どんどん本気で考えるようになりました。
話を聞いた数ヶ月後には、初めて与論島に行きました。どんな仕事になるのか、どんな生活になるのかを想像しながら過ごしました。
2019年5月、初めて2人で与論島に行った当時の様子
私は最終的に海外に行きたいと思っているので、そこに至るまでのステップとして、東京の会社を辞めて与論島へ移住することにはあまり抵抗はなかったですね。
むしろ彼が先に挑戦して、形ができてから参加するのは嫌だったので。行くなら0からのスタートで一緒に作り上げたいと思いました。
Y : 2人とも、挑戦するために与論島に行くことを決めた、という感じですね。島に住みたいとかは、この話があるまで考えたこともなかったぐらいです。
会社員時代から人を楽しませる才能を発揮していたMai
質問3. 2人の出会いについて教えてください
Y : まだShima Hotel編が始まらない、、、爆笑
M : でもこの3つがみなさんからいただく質問ベスト3なので笑
客観的に見ても絶対気になるだろうなあ...
さて私たちの出会いは、東京のソーシャルアパートメント(以下SA)です。
SAとは、シェアハウスと一人暮らしのちょうど中間のような形態のアパートで、多くはバブル期に建てられた社員寮をリノベーションしています。
物件の規模も様々で、20世帯のところもあれば~最大約180世帯の物件もあります。私たちが住んでいたのは、50世帯のSAでした。
Y : 僕はそのSAを開発・運営している会社に転職したばかりで、当時自社物件の中で最新だったその物件に住むことにしました。
入居者の1人だったMaiとそこで出会って、よく話をするようになりましたね。
M : もう本当にあの時代に戻りたいと何度も思ったぐらい楽しい時間でした。
社会人で一人暮らしだと、多くの時間を会社と家の往復で過ごしてしまうこともありますが、SAだと家に帰ると広いラウンジにはいつも誰かがいて、そこから一緒に夕食を作って食べたり映画やドラマを見たりして過ごしてましたね。
疲れている時は自分の部屋だけで過ごせるのも良いポイントだと思います。
Y : 自分の部屋以外のスペースは掃除も入ってくれるので、シェアハウスでよく聞く入居者同士での掃除やゴミなどのトラブルがなく、いつも清潔感があったのもすごく良かったです。
当時の入居者の方々とは今も繋がっていて、わざわざ与論島まで来てくれた人もいますし、東京に行く時に会うこともあります。
共同生活でもあるので、1年や2年という短い期間でも、すごく濃い繋がりができましたね。
気になる方は「ソーシャルアパートメント」でぜひ検索してみてください!
と、前半は、過去編盛り盛りのセルフインタビューをお届けしました!セルフインタビューのShima Hotel編は後半に続きます!
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